六甲八幡神社[灘区八幡町]

オヤジポイント
「石屋川ぶらり散策」の出発点、神戸の中世の歴史を知るには、最高の場です。
平安時代後期、平清盛が福原遷都の時、京都石清水八幡宮を勧請して成瀬という旧地名を八幡(やはた)に改めたのが起源と言われます。神社内に樹齢400年をこす楠や黒松、銀杏の木などあり、14世紀の「太平記」に、鎌倉軍の六波羅勢が八幡林を通り、摩耶山城の赤松円心を攻めたと記されています。例年1月の「厄神さん」には10万人もの参拝客でにぎわっています。

梅仙寺[灘区八幡町]

オヤジポイント
門外からの参拝になることが多い寺ですが、ここから六甲小学校が始まったと聞けばなぜか感慨深いです

大同元年、中国漢人である梅仙阿闍梨(ばいせんあじゃり)が我が国に渡来し、摩耶山にて仏母摩耶夫人の念持仏を深く崇敬し、山麓に六間四方のお堂を建立しました。その後、帰化して当山の開基となりその名にちなんで梅仙寺と称号されるようになりました。門の右手(北東の角)に六甲小学校発祥の碑があります。

丹生神社[灘区高羽町4丁目]

オヤジポイント
境内のくすのきに手をかざして、パワーをしっかりいただけるのがうれしいです。

当神社の創建は不詳であるが、この地は古くより覚美の郷とよばれ、鏡作りの人たちが、鍛冶に最も縁深い水神さんを祀った、と伝えられる。境内には、元禄2年(1689)の鳥居、寛政6年(1794)・天保2年(1831)の石灯籠が現存し、樹齢5~600年の楠があり、「丹生の楠」として市民の木となっている。

桜ヶ丘遺跡[灘区桜ヶ丘町]

オヤジポイント
場所は特定できないが、昔ここに弥生人が住んでいたとは、何と不思議な巡りあわせか!!
昭和39年12月10日、桜ヶ丘町18番地の土取り工事中、銅鐸14個、銅戈7個が発見され灘区には古い時代にも人々が生活をし、相当の集落があったことが証明された。 銅鐸は弥生時代に作られた国産の青銅器であり、銅戈も大体同時代のものといわれている。現在神戸市立博物館に保存・展示されている。

一王山十善寺[灘区一王山町]

オヤジポイント
参道を登るのはちょっとキツイが、本堂に到達するとそこは神聖な空気漂うホットスポット。
山号を一王山というのは、寺の南に地形によって一の尾、二の尾という所があり、この一の尾を一の王にとって山号とし、「王は十善、神は九善」ということから寺号を十善寺としたのである。「王は十善、神は九善」とは、前世に十善の徳を積んだ者は現世の国王になり九善を積んだ者は神になるという意味。つまり王の位は神より優れているという意味である。

善光寺[灘区桜ヶ丘町]

オヤジポイント
齢を重ねると、遠い田舎の墓より、神戸の納骨塔の方が子供達と近いので良いかなあと考えさせられています。
高羽交差点を石屋川方面に下る途中にあり、本堂内に藤原時代末期につくられた不動明王像があります。また、両脇に侍立する「こんがらどうし」「せいたかどうし」は、鎌倉時代につくられたもので、寄木内彫り、彩色を施し、玉眼を入れており、昭和52年に県の重要文化財に指定されています。

石屋川トンネル[東灘区御影石町]

オヤジポイント
「さみやばし」の上に立ち、当時に思いを馳せながら上流の高架を走る列車を眺めるのが最高であります。
明治4年に完成した日本で一番古い鉄道トンネルです。約61mの長さがあり石屋川が天井川の為、川底にトンネルを掘る必要がありました。大正8年に複々線工事のため解体され昭和51年からは川をまたぐ高架になっています。今は「記念碑」や「石碑」などで当時を偲ぶことができます。

徳井神社[灘区徳井町]

オヤジポイント
少子化の時代でも、安産祈願に訪れる人多くみられます。古くからの風習です。
別称「箒(ほうき)の宮」ともいわれ、安産祈願に参拝する願人に箒を授けるところからその名が生まれました。土地の古老の間では「陣痛が始まるとご神前の荒神箒を借り受け、その箒で妊婦の腹をなでると安産を得、出産の後、その箒と更に一本を新調し、併せて奉納する」と伝承で語り継がれています。民俗的にも珍しい神事として広く知られています。

御影公会堂[東灘区御影石町]

オヤジポイント
オムライスを食し、食後のコーヒーを飲むひとときが「石屋川ぶらり散策」の結びとして最高!!
石屋川沿いに国の登録有形文化財にもなっている御影公会堂があります。その地下にぜひご紹介したい食堂があります。公会堂の歴史と同じく昭和8年から開業しており、内装もメニューも昭和レトロな趣きを感じさせる食堂です。